写真・杭と綱
出雲風土記国引き神話
「高志(こし)の都都(つつ)の三崎を、國の餘(あまり)ありやと見れば、國の餘あり」
と詔(の)りたまひて、童女(をとめ)の胸すき取らして、大魚(おふを)の支太(きだ)衝き別けて、波多須々支(はたすすき)穂を振り別けて、三身(みつより)の綱打ちかけて、霜黒葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)に、河船の毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、
「國来、國来(くにこ、くにこ)」と引き来縫へる國は、三穂(みほ)の埼なり。
持ち引ける綱は、夜見嶋(よみのしま)なり。固堅(かた)め立てし加志(かし)は、伯耆國(ははきのくに)なる火神岳(ひのかみのたけ)、是なり。
現代語訳
北陸の都都の岬を、土地の余りがありはしないかとみれば、土地の余りある」と仰せられて、「国よ来い、国よ来い」と言って引いて来てつなぎ合わせた土地は、美保関であり、引いてきた綱は弓ヶ浜半島、つなぎ止めのための杭は大山である。