風のアルゴリズム

風だけが知っている。
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心地よい西風がそよぐ海岸線を単車が走り抜ける。
岬へと続く道しるべを横に益々加速して街路樹の間を走る。
生い茂る草木が道を覆う。
車幅が狭くなっている行き止まりの道を減速もせず草を散らし駆け抜ける。

ぎゃりぎゃりとタイヤを鳴らし反転しながら止める。
目の前にあるのは古い門柱。道はそこで終り門柱後方にそびえるのは白い廃墟。
暫しバイクから降り眺める。以前来た時はここに人の往来が有り静かながらも荒れてなど無かった。
壁に書かれたスプレー描きの卑猥な絵が寂静を穢す。
薄汚れた看板には「国立療養所」と書かれた文字がかすかに見える。
指でなぞり確かめる。もっとはっきり読めたはずのそれも今は僅かに痕跡があるだけだ。
メットを外しバイクを止めなおすと海岸線に続く小道へと向った。

白砂青松

波は彼方此方
風を運び想いを届ける
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浜に出る。
追憶の中に君の姿が浮ぶ。
ここで君と石に閉じ込められた貝を拾った。
君はいう『おみやげができたよ、ペーパーウエイトに丁度いいね』
波に洗われ巻貝の螺旋がきれいに出たそれを、手の平にのせて宝物を見せる子供のように微笑む。
久しぶりに浴びる日差しは彼女にはことさら眩しく、すっかり細くなった身体にカーディガンを羽織った姿が痛々しい。
病院指定の着衣が風に揺れる。
『少し寒いね』
『うん、帰ろうか』
サナトリウムに続く小道へ向う。肩を縮ませゆっくりと上がる君の後姿を見守りながら。

病室に帰るとプレゼントを渡した。たまにしか来れない償いの意味も込めて。
『少し待ってて』簡単な身支度を済ませ薄化粧をする
イヤリングを早速付けて見せてくれた。
『嬉しい、ありがとう』
『良かった気に入ってくれて』
『これを付けてデートできたらいいのにねえ・・・』
沈む声にすかさず答える。悲しませるためのプレゼントではないのだから。
『出来るさ直ぐにでもさっきのもデートだよ、君と一緒にいることが一番だよ』
その場つなぎの言葉であれ本心を言う。
赤みの無かった頬に朱が差す。少女のように幼く見えて思わず抱きしめる。
『まだ寒い?』
『・・・ううん、あったかい』
静かな館内に治療器具を乗せたトレーの音が響く。
『時間だね』
『うん・・・だね』
互いの顔を覗き込む。想いが胸の奥に詰まり言葉とならない。
軽くキス。溢れるそれを表すのには余りにも時間が無い。
ゆっくりと身を離す。もう戸口まで看護士が来ているのがわかる。
『もう行くよ』
『うん、今度いつ来るの』
その言葉に胸が痛む。
『すぐだよ、必ず都合が付いたら行くよ』
『わかった・・・』
下を向いて耐える君の姿。
看護士と入れ違いに僕は出て行く。呼び止める君。
『これもっていって、私から・・・』
サイドボードに置いてある貝の化石を手渡してくれる。それは今でも僕の机の上にある。
『ありがとう、じゃあ行くよバイバイ』
『ばいばい』看護士に注射を打たれながら小さく手を振る。
さっきよりも沈んだ面持ちの君。
最後の姿。それが最後。幾つ後悔しただろうか。

浜の風を受け思い出す。
別れの日に友人達に支えられ帰りの喫茶店で励まされた時のことを。
友人の一人が言う。
『これから先ね彼女の事をふとしたきっかけで思い出すときがあるわ、その時は彼女が側にいて見守っているのよ
 あなたが忘れても彼女はずっと覚えてるの、楽しかったあなたとのことをね、だから今は辛くてもずっと一つだから』
その時の僕は怒っていた様に思う。忘れる事が前提で言われたようで少し悔しかった。
深くその意味もわからず混迷の日々が続いた。今日現在に至るまで。

風は彼方。想いは此方にあり。憂う全てを包む。
力を抜き風にゆだねる。
頬を伝う温かいそれはそのままにして遥か水平線を眺める。
風は突然突風となり涙を虚空へと散らしていく。
心の中でその名を呼ぶ。
胸中を満たすものは何であろうか。
答えはあったように思う、今はそれで十分だった。

きびすを返し小道を歩いてゆく。
日常へ帰る。しかしそれは今までと違い少なくとも一人ぽっちではない。形が変わっただけなのだ。
想いはそのままで良いのだ。想い続けられる限り想えば良い。
白い廃墟を後にする。僕はもう振り向く事はなかった。

風は清爽。
風だけが知っている