ある詩人と青春の群像

『回想』

いつの頃からだろう十代の私が彼の本を片手に町を歩いていたのは。
詳しい経歴も生い立ちも知らぬまま、書店めぐりで偶然見つけたその本を財布と相談せぬままレジに置いた。
その月はそれ以外の買い物もお気に入りのアーティストのCDも友人からのカラオケの誘いも断らなければならなかった。
自分のものにしたという安堵感からか興味を失い、暫く部屋の隅に置かれてほこりにまみれていた。
何かの拍子に手を取りそれはそのまま私の手から常に離れる事がなかった。

詩人の名は『山田かまち』

大人になることの無い永遠の17歳の少年である。
少年と言うと語弊のある年かもしれない。
しかし、ふりかえり彼の年の数ほどの時間を過すと幼さの残る自画像はやはり少年と呼ぶに相応しい。
1977年8月10日、高校1年の夏、愛用のエレキギターの練習中に感電し、不慮の死をとげる。
その瞬間まで彼は汗だくで自室にこもって練習していた。
音が漏れぬように締め切った真夏の部屋の中で、汗によって通電してしまいエレキギターにより感電死してしまう。

のちに部屋から見つかったのは数々の絵と詩が書かれた沢山のノートであった。
その日彼の机の上には書きかけの水彩画が残されていた。
彼は死ぬまで彼であった。普通のどこでもいる高校生として生きてきた。
しかし、その死を通して世に彼を詩人として至らしめたのだ。

彼の詩を一つ載せてみる。
瑞々しい十代の息吹が聞こえてくる。

絵をかく理由
過程が楽しい不可欠なゲーム

視覚の欲求を満たすため だった、
ぼくが絵をかく理由は…。そのほかに、

自己満足する。

時には名声の幻によって自己満足する。

自分を高い境地にもっていきたい。

または素朴に、

えんぴつや色や紙や画面を自由に使う、

本来的な欲求もあった。

とにかく自分を幸せにするために、

絵をかいていたのだ。

11・14(昭和五十一年)

作曲も、絵画も、詩も、彼にとって当たり前の日常だった。
激しく駆け抜けた17年。永遠の少年がここにいる。

興味をもたれた方はこちらを見ると良くわかると思う。

モコのかまちにカマって

http://www.sankei.co.jp/event/kamachi/kamachi.html

今やその本は手元に無い、長い時の中で失ったものの大切な一つだ。
思春期になくてはならない本だった。

ありがとう、かまち。